第二十五回泰永書展が閉幕
今週の火曜日23日に第二十五回泰永書展が閉幕いたしました。私は事務局の方を携わらせていただいておりますので、まだ事後処理に追われている調子です。
自作に関しては、昨年の大きな課題を背負っての出展でした。今後の方向性が一部見えたような感覚があります。ご来場いただいたお客様にご感想をいただけ今後の活動の参考に活かせれば。ありがとうございました。
ある医師の漢詩)
本展ではある出会いと再会がありました。まるで本展のテーマである「運びと縁(えにし)」を体現したかのようです。
野尻氏より2年ほど前ですか聞いた話です。当時、氏は自作の漢詩制作に熱が入っており、丁度その滑り出しの時期だったに思います。ある漢文の和訳を頼まれたというのです。
氏「ほら僕のことだから、いつもなら面倒くさいから断っちゃうんだけど(笑)、丁度自作の漢詩を毎日やっているじゃない。だから気になって話を聞いてみたら、うちのご先祖と近いんだよね。水戸藩だったんだけどさ。そこにご縁も感たから受けることにしたんだけど、この漢詩の内容が素晴らしいんだよ読んでごらん。久しぶりに感動したよ」
そう言って渡され拝読しました。とても胸がつまりました。
氏「どうだい凄いだろ?!これだよ。これなんだよ!危うく断っちゃうところだったけど受けて良かったよ。(笑) 最初は忙しくて他人様の漢詩どころじゃないじゃない。まだ推敲を繰り返しているん段階なんだけどね急がないと本人が危ないみたいだから」
私「え?危ないって」
氏「これを読みたい人がかなりの高齢で体調が思わしくないようなんだ」
私「あらま」
氏「だから、ここ数日はコレしかやっていないんだよね。どうだい?」
私「え、もー完璧じゃないですか。もうこれで問題ないんじゃないですか?」
氏「おかしくないかね?急いでいても適当な返事はしたくないからさ。特に後半のコレがさっぱりわからないんだけど、これちょっと見てくれるかい?」
こういったやり取りがあり、しばし二人でこの医師の話題でもちきりでした。
出会い)
時折、その医師の生き様が話題に登ることはありましたが、すっかり細かい経緯等の詳細を忘れておりました。本展にて 「丁寧に見て頂いているご夫婦らしきお二人がいるなぁ」 と思いながら他の方を接客しておりました。タイミングが会えば感想でも伺おうと思っておりましたが、一旦出られたのが見えます。しかし再び女性が入室され、氏の方を向いているのが目に映り、「これは何か大切な用事がありそうだ」と歩みより話を伺うと、驚いたことにコノ医師のご親族でした。氏と面通し頂きその時の感動が蘇りました。
再会)
会には様々な事情から出入りがありますが、中でも印象に残るお弟子さんはおります。非常に小中学生が多い時期があり、年格好からいって甥や姪を見るような感覚で彼らを見ていました。別れは突然でした。大まかな経緯を聞いた時、私は「誤解もあるだろうに、なぜ引き止めないんでか?」と問いました。氏は「我々は特に個の自由意志を尊重する立場にある人間だよ。誤解であれ何であれ、それぞれ充分に熟慮した上で去ると決めたんだろうよ。それを止めるのは相手の意思を踏みにじることになる。そんな失礼なこと出来ないし、するべきじゃないと思うよ」と応えました。
それから10年近く経つでしょうか。本展最終日に、(どこか見覚えのある方がいらっしゃるな)と思いながらいました。氏より「ほら、憶えてる?」と声がかかり思い出します。当時の子のご親族でした。その後、本人も駆けつけて来て頂き、どこか遠いところに旅に出ていた甥や姪が元気に帰ってきたような喜びが。今の活動について話を伺うと、氏のスピリットのようなものが無意識下に感じられた話があり驚きました。新たな関係性の元で何かが動き出しそうです。
日頃より氏が言われている 「本物を伝えていれば、たとえその時はわからなくとも、いずれ何かしらの精神的支柱になることだってある」 というのが伺えた気がします。
何かと感じることの多い書展となりました。
自作に関しては、昨年の大きな課題を背負っての出展でした。今後の方向性が一部見えたような感覚があります。ご来場いただいたお客様にご感想をいただけ今後の活動の参考に活かせれば。ありがとうございました。
本展ではある出会いと再会がありました。まるで本展のテーマである「運びと縁(えにし)」を体現したかのようです。
野尻氏より2年ほど前ですか聞いた話です。当時、氏は自作の漢詩制作に熱が入っており、丁度その滑り出しの時期だったに思います。ある漢文の和訳を頼まれたというのです。
氏「ほら僕のことだから、いつもなら面倒くさいから断っちゃうんだけど(笑)、丁度自作の漢詩を毎日やっているじゃない。だから気になって話を聞いてみたら、うちのご先祖と近いんだよね。水戸藩だったんだけどさ。そこにご縁も感たから受けることにしたんだけど、この漢詩の内容が素晴らしいんだよ読んでごらん。久しぶりに感動したよ」
そう言って渡され拝読しました。とても胸がつまりました。
氏「どうだい凄いだろ?!これだよ。これなんだよ!危うく断っちゃうところだったけど受けて良かったよ。(笑) 最初は忙しくて他人様の漢詩どころじゃないじゃない。まだ推敲を繰り返しているん段階なんだけどね急がないと本人が危ないみたいだから」
私「え?危ないって」
氏「これを読みたい人がかなりの高齢で体調が思わしくないようなんだ」
私「あらま」
氏「だから、ここ数日はコレしかやっていないんだよね。どうだい?」
私「え、もー完璧じゃないですか。もうこれで問題ないんじゃないですか?」
氏「おかしくないかね?急いでいても適当な返事はしたくないからさ。特に後半のコレがさっぱりわからないんだけど、これちょっと見てくれるかい?」
こういったやり取りがあり、しばし二人でこの医師の話題でもちきりでした。
出会い)
時折、その医師の生き様が話題に登ることはありましたが、すっかり細かい経緯等の詳細を忘れておりました。本展にて 「丁寧に見て頂いているご夫婦らしきお二人がいるなぁ」 と思いながら他の方を接客しておりました。タイミングが会えば感想でも伺おうと思っておりましたが、一旦出られたのが見えます。しかし再び女性が入室され、氏の方を向いているのが目に映り、「これは何か大切な用事がありそうだ」と歩みより話を伺うと、驚いたことにコノ医師のご親族でした。氏と面通し頂きその時の感動が蘇りました。
再会)
会には様々な事情から出入りがありますが、中でも印象に残るお弟子さんはおります。非常に小中学生が多い時期があり、年格好からいって甥や姪を見るような感覚で彼らを見ていました。別れは突然でした。大まかな経緯を聞いた時、私は「誤解もあるだろうに、なぜ引き止めないんでか?」と問いました。氏は「我々は特に個の自由意志を尊重する立場にある人間だよ。誤解であれ何であれ、それぞれ充分に熟慮した上で去ると決めたんだろうよ。それを止めるのは相手の意思を踏みにじることになる。そんな失礼なこと出来ないし、するべきじゃないと思うよ」と応えました。
それから10年近く経つでしょうか。本展最終日に、(どこか見覚えのある方がいらっしゃるな)と思いながらいました。氏より「ほら、憶えてる?」と声がかかり思い出します。当時の子のご親族でした。その後、本人も駆けつけて来て頂き、どこか遠いところに旅に出ていた甥や姪が元気に帰ってきたような喜びが。今の活動について話を伺うと、氏のスピリットのようなものが無意識下に感じられた話があり驚きました。新たな関係性の元で何かが動き出しそうです。
日頃より氏が言われている 「本物を伝えていれば、たとえその時はわからなくとも、いずれ何かしらの精神的支柱になることだってある」 というのが伺えた気がします。
何かと感じることの多い書展となりました。
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