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藝文對談ともえ:第二十二回:観念化する社会 を公開

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* 2016/7/30sa:トッチャンが東京オリンピックに向けて政府が外国人観光客にアピールしている様々な施策に触れる。こうした動きに対してセンセイは、それそのものか構わないが一方に潜む危険性を指摘。転じて、日本社会が未熟化していることの懸念を上げる。バランス感覚を失い観念化していく日本の社会の姿。それに対しどうすればいいか三人は話し合う。

藝文對談ともえ:第二十一回:変容する日本 を公開

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* 2016/7/20we:日本社会の嗜好性の変化を感じると近所の例をマッサンが語り始める。小さなお店で小さな商いをする人が増えている一方で超大企業による大量生産品の市場支配が浮き彫りになり両極化していることを指摘。センセイは日本企業の大量生産品のセンスが昭和の時よりセンスが悪くなっていると語り、安いものを買うと人間形成の裏側で育まれるものが値段以上に損なわれる危険性を言及。そこから大量生産品により作られた食事も不味くなったことへ話題が移る。マズイにしても大量生産品の不味さと嘗ての個人食堂の不味さとは違うとセンセイ。失われてきたものを感じつつ、話題は再び人工知能、そして人へ。

藝文對談ともえ:第二十回:人工知能 を公開

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* 2016/7/10su:話題となっている人工知能についてマッサンが語り出す。ここ数年、将棋の電脳戦におけるプロ棋士への勝利を経て、2016年初頭に囲碁の世界チャンピオンに勝利。嘗ての知識人の予測を越える速度で進歩した感がある人工知能。今後どのように人や社会に影響を与えるか。こうした動きについてセンセイやトッチャンがどう考えるか問いかける。センセイは「機械は水をぶっかけたぐらいで故障するけど、人間は故障しない。人間は細胞と細菌で出来ている。この違いは大きい」、トッチャンは「人の働き方や生き方は変わるんだろうなと思う」と語る。機械が出来ることは機械がするような時代になり、人はもっと豊かな人間本来の営みに戻り、益々芸術を必要とする時代へと突入すると話は展開する。