私は見る分には楷書、隷書が好きです。  でも、書こうとすると肉体の奥底から「書きたくない」という塊が湧いてきます。  それを無視して書くとやはりストレスになるようで手が止まってしまいます。   野尻は、「好みと能力が一致している人は珍しい」といいます。   私は典型的な例のようで、  見る好みと、実際に持っている能力が真逆のタイプ。   「ここまで逆なのも珍しいけど、  完全に一致している人もそうはいない」と言います。   好みと能力は別ということです。  能力にないことをやるのは肉体的ストレスになり身体が拒絶するようです。  好みと違うことをやると楽しくはないものの肉体は受け入れるためストレスにはなりません。  不思議なものです。   好みと能力が努力によって寄り添うことは永遠にないように思います。  持って生まれたものですので。  人間は肉体をベースにした生きものですので、  肉体の能力にあった方向性に進みつつ、時折好みに手をつけるぐらいが良さそうです。  ただし、   「草書を習熟する書家は、  結果的に楷書も書けないと草書の大家にはなれない」と野尻は語ります。   「草書が体質に馴染むものは上達するほどに  余計に点折が曖昧になり流れてしまう。  経年と共にそれをよしとしてしまい、思い込みが出来る。  流れた草書は書にあらず。点折が出来ていてこその草書である。  それを防ぐためにも楷書はやらざるを得ない。  結果的に草書の大家は楷書の大家にもなる」    師匠から渡された課題に楷書がありました。  新たな段階に入ったようです。  楷書・・・書きたくないなぁ。(笑)  師の楷書が素晴らしすぎる。  まぁ、仕方がありませんね。  下手は下手で受け止めるしかありません。